16歳の私はキリスト教に救いを求めた。そして離れた。
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高校1年、16歳。
学校に行くのがツライ。でも休むと親や先生に怒られる。
行けばツライ、行かないのもツライ。
いったいどうしたらいいんだ。
そんなときに西洋史に興味を持ち、キリスト教に親しみを持ちました。
自然と、キリスト教に救いを求めるようになっていきました。
***
(今、私にはツライことばかり起きる。なぜこんな目に遭うのだろうか。)
(そうだ、これは神が私を愛するがゆえに起こしていることなのだ。)
(では、なぜ神は私に苦しみを与えるのか。)
(それは神のみぞ知る。)
(神の御心は私ごときにはわからない。)
***
そんな風に考えると、苦しい日々に合点が行くので、
しばらくは信じていました。
でもやっぱりキリスト教への違和感は拭えませんでした。
そもそも、神が父というのが気に食わない。
私は自分の父親とうまくいっていませんでした。
当時は両親とも私の理解者ではなかったけど、
母はある程度は理解を示してくれました。
でも父は全否定だった。だから父が嫌いだった。
それなのに、キリスト教では神は父なのだ。父なる神なのだ。
また、原罪とか、イエスの贖罪とか、変だと思った。
感覚的な話では、
十字架に張り付けられて血だらけになっている男の絵や像を拝むことに
拒否感がありました(今もあります)。