30代で実家ぐらし、働かず家にいる男の日々

1985年生まれの37歳。働かず、友達付き合いもなし。外へ出るのは散歩か病院の時だけ。一人で読んだり書いたりして過ごしている。noteで日記を公開している→https://goo.gl/Jrkznz

海への憧れと失望


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江の島・鎌倉に行ってきた。

 

埼玉・所沢から2時間かけて片瀬江ノ島駅に到着。竜宮城みたいな駅だ。

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もう江の島が見える。心躍る。そして……

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海だ!

 

青い海と白い浜。何ヶ月も前から「海が見たい、海が見たい」と思い続けていた。毎日ヒマで、行くお金もあるのに、どうしても夕方にならないと起きられなくて、空回りしていた。

 

僕の家から一番近い海は東京湾。1時間もあれば行ける。でも東京湾じゃダメなのだ。浜辺と潮騒が必要なのだ。それらはお台場や幕張にもあるが、波の迫力が全然違う。外海の激しさ、荒々しさに憧れ続けた。

 

ここに来たのは初めてではない。4年前にも来た。その時は陸の観光地を見て回った。だが今回の目的はあくまで海。ひたすら海のそばで過ごしたい。そう思って来た。

 

僕はひたすら浜辺づたいに、海に密着して歩いた。

 

*** 

 

恋い焦がれた海だったが、30分も歩くと、波音が鬱陶しくなってきた。磯の臭いが不快になってきた。

 

しかし何と言っても、海藻の汚らしいのが気になった。打ち上げられた海藻がどこまでも広がっている。時間が経って乾いた海藻には小さな虫が無数にたかっている。流木にもブンブンたかっている。

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(打ち上げられた海藻。中央奥に見えるのが江の島)

 

***

 

どうにも落ち着かない。そういえば、大江健三郎が司馬遼太郎との対談でこんなことを言っていた。

 

そのとき僕は、海のそばで生活する人たちは、みんな不安じゃないんだろうかと思う、と言ったんです。海はいつもあんなに動いている、あんなに動いている大きいひろがりがそばにあっては、生活するのに安定感がないんじゃないかということを、僕は言ったわけです。
(「師弟の風景」、司馬遼太郎『八人との対話』所収)

 

波打ち際を歩いていると、ふいに強めの波が来て、足元に到達する。機嫌がコロコロ変わる人のそばにいるようで、いつも注意深く観察していないといけない。もう疲れた。もう海はいい。海から離れて落ち着きたい。海は動くから嫌だ。

 

***

 

陸の方に目を向けると、道路がある。片側1車線の狭い道にもかかわらず、かなりの交通量だった。その隣に江ノ電が走る。民家の軒先を走るほどの狭さだ。何もかもが狭い。海以外のすべてが狭い。

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また、海辺の建物は潮風を受けて錆びている。看板は色あせ、古ぼけて見える。街の雰囲気が80年代で止まっているような感じを受ける。

 

並行する道路では、上半身裸でランニングやサイクリングをする男が散見された。「イージーライダー」みたいなバイクが爆音と共に通り過ぎた。サングラスをかけている人が目立つ。

 

僕は湘南に向いていないと思った。

 

***

 

夕方になって帰路に着く。小田急の車両は静かで揺れも小さかった。ウトウトしながら、一日を振り返る。何時間も潮騒を聞いて耳も頭も疲れた。遮るものが何もない海辺の直射日光は、あまりにも眩しすぎた。気付くと眠っていて、目が覚めたら新宿だった。

 

西武新宿駅まで歩いた。思い出横丁を下り、大ガードをくぐる。夜の新宿ほど落ち着かない街はない。疲れた体と頭に、この喧騒は堪える。早く家に帰りたい。

 

所沢で下車すると、人が少なかった。気温も新宿に比べて明らかに低い。ああ帰ってきたんだ。ほっと胸をなでおろす。

 

その所沢よりも更に2駅引っ込んだところに、我が街・新所沢はある。時刻は夜の9時を回っていた。ベッドタウンの夜は閑散としている。山もなければ海もない。住宅ばかりの退屈な景色だ。でも、疲れた僕にはそれがありがたかった。


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