30代で実家ぐらし、働かず家にいる男の日々

1985年生まれの37歳。働かず、友達付き合いもなし。外へ出るのは散歩か病院の時だけ。一人で読んだり書いたりして過ごしている。noteで日記を公開している→https://goo.gl/Jrkznz

生身の人間は嫌いでも、人間がつくり出したコンテンツは愛おしい


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前置き

2023年2月27日。ボツ記事を眺めていたら、ちょっと気になるものが出てきた。タイトルは「こうして死にたくなくなった」。どうやら2年ぐらい前に書いたもののようだ。ボツにした理由はわからない。感傷的すぎて嫌だったのかもしれない。

 

今回読み返しても同じように感じた。でも生きづらさを抱えている人の助けになるかもしれないとも思った。そこでこのたび、公開することにした。なお、記事タイトルは改めた。

 

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こうして死にたくなくなった

私はかつて、あちこちで「生きづらい」と書いていた。その結果、厭世的な読者が増えた。「死にたい」と言っている人も多かった。

 

ところが、当の私は死にたくない。人と関わることがしんどいため、労働はもちろん、余暇の活動すら制限されてしまう。それでも死にたくはないのだ。

 

高校生の頃は違った。死に対する憧れを持っていた。学校での集団生活が苦痛だったからだ。結局不登校になり、2年半もの間、図書館にこもって本を読んで過ごした。

 

今と違ってパソコンもスマホも持っていなかったので、ひたすら孤独だった。話し相手がいない。やりきれない思いは、紙のノートに書き綴った。

 

大学時代は楽しかった。サークルにも入らず、友達付き合いもない。相変わらず一人だった。それでも孤立している感覚はなかった。宗教や哲学や文学など、好きな分野の勉強に没頭することができたからだと思う。美術館にもよく行った。

 

学問、芸術、一人で楽しめる娯楽。生身の人間は嫌いでも、人間がつくり出したコンテンツは愛おしい。こういうところから、生を肯定できるようになっていった。

 

卒業後、やはり会社勤めにつまづいた。なるべく一人でできる仕事を転々としたが、やがてそれにも耐えられなくなっていった。

 

無職になって3年以上経つ。無職になりたての頃は何かしなければと焦っていたが、それも徐々に軽くなっていった。

 

ただ、これも理想の生活ではない。常に体調が悪く、どこかが痛い。薬が手放せず、病院通いの日々を送っている。親のすねかじりは楽だが、それなりの精神的ストレスがあり、それが病気を引き起こしているのではないか。

 

大学生活にだけは適応できた。ここに生きるヒントがあるように思う。再び大学に戻るということではない。人にはそれぞれ、自分に合った外界との関わり方があると言いたいのだ。

 

(本文終わり)

 

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