30代で実家ぐらし、働かず家にいる男の日々

1985年生まれの37歳。働かず、友達付き合いもなし。外へ出るのは散歩か病院の時だけ。一人で読んだり書いたりして過ごしている。noteで日記を公開している→https://goo.gl/Jrkznz

正社員になりたくない


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正社員になったら週に5日、8時間以上、働かないといけない。

 

かなり厳しいが、これができれば月収10万以上になる。年収は120万円を超える。ただし現代日本では、年収200万円でも「ワーキングプア」と言われ、月収16万円以上でも「貧困層」になる。

 

僕は今32歳だが、年収65万ぐらいが最高だ。夕方3時間のバイトを週5日でやっていた時の額で、月収は56万。親に3万ほど渡していたので、手元に残るのは2万。それでも使い切れず貯金していた。2年半で退職したが、その頃には口座に30万円以上も入っていた。2013年から2015年のことで、20代後半だった。

 

月に2万でも何に使ったらいいかわからないのに、10万以上もあったら持て余すだけだ。「もしも」の時のための貯金というのは堅実だが、そんな曖昧な動機では、1日8時間・週5日の労働を耐え抜くことはできない。

 

上記のバイトが2年半も続いたことは、今となっては理解しにくい。在職中は「退職したら無収入になる。それだけは避けなければ」という思いで食らいついていた。でも無職になってしばらくすれば、そんなことは何でもなくなった。

 

実家ぐらしだから食いっぱぐれもない。「早く仕事に就け」と親に急かされるのは不快だが、殴られるわけでもないし、追い出されもしない。実家ぐらしにとって、無職など大した問題ではないのだ。

 

***

 

それにしても、この時期は不幸だった。月々安定して5万円も稼いでいたが、特に何に使うでもない。余暇はネットか図書館の本を読むだけで過ぎていった。全然使わないのだ。

 

何といっても、人間関係が苦痛だった。職場には人の悪口しか言わない男がいた。40前の肥満体で、全身から不機嫌オーラを醸し出していた。「あの野郎は本当にクソだ」とか「この職場にはクズしかいねえ」とかいう話を毎日聞かされて、精神が参ってしまった。胃がおかしくなり、1日に1食しか喉を通らなかった。

 

こんなだから、13時間のバイトでも、残りの時間はグッタリしていた。無気力に過ごすことしかできなかった。貯金はどんどん増えたが、精神状態は最悪だった。お金を稼げば精神が安定するわけではない。経験から学んだ。


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正社員の労働形態に最も近づいたのは20124月。26歳だった。上記のバイトの前年のことで、日本郵便の「時給制契約社員」として採用された。時給は920円、週5日フルタイムだ。月収は13万ぐらいだったと記憶している。当初は一生懸命働いて、正社員に登用されることを目標としていた。

 

ところが、様々な苦しみが重なって耐えきれなくなり、1ヶ月しか持たなかった。この時に味わった苦痛は今でも忘れられない。思い出すだけで情緒が不安定になる。

 

僕はバイクで配達する従業員として採用された。1週間の研修も受けた。それなのに、いざ入社すると、僕の運転技術は危なっかしいということで、自転車での配達を命じられた。これが大変だった。

 

郵便局から配達エリアまで4キロぐらい離れていた。起伏も激しく、自転車だと25分ぐらいかかる。そんなに遠いのに、昼には帰局しないといけない。そして昼食後、また配達エリアに向かう。25分の往復(=50分)を2回くり返すので、それだけで2時間近く費やしてしまう。

 

配達以外にもつらいことが多かった。僕は始業前にトイレに行っても、配達前にまた行きたくなる。小ではなく大だ。そのため、出発が周囲より遅れてしまう。それを咎められて、出発するまでの間、ずっと職員が後ろから付いてくるようになった。トイレに行けないようになってしまった。

 

雨の日はカッパを着るのだが、それも職員に「遅い! もっと早く!」と叱責されながら着替えた。軍隊のようだと思った。お腹ゴロゴロのまま出発するため、いつも途中のコンビニで用を足した。

 

ある日、残業をしていて、仕事が終わったので帰る旨を班長に告げたら「残業代は15分単位だから、今帰ると損。適当に数分間作業して、分になったら帰るといいよ」と助言された。それに従い、机の上の整理整頓などをしていた。

 

そうしたら別の職員に見咎められて「そんなの今やることじゃないだろ! 残業代をもらうためにやってんだな! とんでもない奴だ! お前なんかに払う金はない! 上に言いつけてやる!」と怒鳴られた。今思い出しても震えがくる。涙が出る。それぐらいショックな出来事だった。

 

嘘をついていると決め付けられたこともあった。課長だか係長だか、役職は忘れたが、60すぎぐらいの白髪の太った男だった。新入社員の心得みたいな書類があるらしいのだが、僕はもらっていない。

 

でもその男は「あんたはもらってるはず」の一点張り。何度も「もらってません」と言うのだが、ニヤニヤして信じてくれない。結局新たに用意してもらえたのだが、手渡した後にボソリ。

 

「あんたがなくしたんだよ」

 

本当に悔しかった。


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僕は何とか仕事を続けようとした。入社時にもらった資料に「悩み相談窓口」が紹介されていたので、そこに電話した。泣きながら、これまでに受けた仕打ちを話した。聞いてもらえてすっきりしたが、結局耐えきれず、月末で退職した。

 

退職して晴れ晴れしたかというと、そんなことはなかった。しばらく情緒不安定で、ある日、駅でパニック発作に襲われた。動悸とめまいで、立っていられない。目の前が真っ暗になった。不安でたまらなくなり、どうにかなりそうだった。ベンチで頭を抱えてやりすごしたが、本当に怖かった。郵便局でのストレスが原因だったように思う。

  

***

 

就労体験はこれだけではない。非正規での入社と退社をくりかえした。企業のインターンに参加したこともある。しかし経験を積めば積むほど、会社や職場や仕事というものに対する不快感が募っていった。 

 

なぜそんなに横柄なの? なぜそんなに怒るの? なぜ常に悪口を言っているの? なぜそんなに時間に厳しいの? なぜトイレに行っちゃいけないの? なぜ水分補給もできないの?

 

わからないことだらけだ。会社という場所は、人間が生きるのに適していないと思った。

 

僕は非正規身分のうちに、会社で働くことの負の面を見過ぎたのかもしれない。正社員というのは、非正規社員以上に「会社」や「職場」にどっぷり浸かって働くことになる。非正規の短時間労働でさえ心身ボロボロになったのに、さらに深く足を踏み入れるなんて、考えたくもない。

 

***

 

ではこの先どうするのか……

 

わからない。できることをやっていくしかない。そう考えて、週2日のポスティングを続けている。出社不要で、一人でできるから、見張られることもない。怒鳴られることもない。許可なく水分補給していいし、許可なくトイレに行っていい。

 

会社に閉じ込められないというのが本当に助かる。どこを見ても人がいて、一瞬も落ち着けない場所で、1日中まったく興味のない作業を命じられる。それを週に5日。精神がおかしくなって当然だ。

 

ポスティングは週に2日で月収1万5000円しか稼げないが、無収入よりはいいだろう。一応は仕事なので、社会とつながっている気分を感じることができ、精神の安定にも役立っている。

 

このままでいいとは思わないが、もう少しこの状態でいたい。

 

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