30代で実家ぐらし、働かず家にいる男の日々

1985年生まれの37歳。働かず、友達付き合いもなし。外へ出るのは散歩か病院の時だけ。一人で読んだり書いたりして過ごしている。noteで日記を公開している→https://goo.gl/Jrkznz

所沢は川越よりも面白い


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所沢。電車で池袋から約20分、新宿から約30分。埼玉県南西部にあり、東京都の多摩地域と接している。戦後は都心のベッドタウンとして発展した。僕はここに17年住んでいる。今回は所沢駅前から西所沢駅に向かって歩く。中心市街地散歩だ。

 

西口を出ると目の前に所沢プロペ商店街。名前の由来は「プロペラ」から。所沢は日本初の飛行場が開設された街であることから、飛行機由来の命名が多い。飛行場跡地の一部が、現在の所沢航空記念公園(航空公園)である。

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この通りは活気がある。チェーン店が目立つ。300メートルほど歩くと出口で、目の前にイオンが見える。かつてはダイエーだった。3階にアニメイトがあることが、二次元好きの僕には嬉しい。

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ここからの道は「ファルマン通り」となる。アンリ・ファルマン号という飛行機が名前の由来。道は下り坂で、間もなく変則的な交差点に出る。ファルマン通り交差点というのが正式名称だが、地元の人は「根岸の交差点」という。交差点にあるお菓子屋「ねぎし」(根岸)に由来する。

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タモリではないが、カーブのある坂というのは歩いていて楽しいものだ。坂の途中には稲荷神社もある。その向かいの路地を入ると「奈美喜屋」という焼きだんご屋があって、とてもおいしい。焼きだんごは所沢の名物である。店主は物静かなおじさんなので、おしゃべりが苦手な僕にも利用しやすい。その道を下っていくと、立派な木の門と蔵が見える。港屋だ。江戸時代からある。

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新選組の土方歳三も来たという。多摩にいた頃に行商で訪れた記録が残っているそうだ。後述する深井醤油にも寄ったとのこと。日野にある「新選組のふるさと歴史館」の学芸員から聞いた。

 

左折すると、何ということもない住宅街に入るが、ここはかつての花街。飛行場の街として栄えた戦前、料亭や置屋が軒を連ねていたという。残念ながら目立った痕跡はない。この界隈については「東京DEEP案内」でも取り上げられた。

所沢の遊郭跡・有楽町(うらまち)界隈を歩く (1) - 東京DEEP案内

(三好亭は残念ながら数年前に取り壊されてしまった。写真付きで紹介されている「バラック建築群」「オンボロ木造商店」「古い料亭風の建物」も既にない)

 

この通りの終わりにある寺が薬王寺。新田義貞の三男・義宗終焉の地という伝説が残っている。背後に上り坂が控えており、墓地が広がる。

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 (手前が薬王寺の墓地)

 

その隣りにあるのが前述した深井醤油。立派な蔵が2つ並んでいる。かつてテレビ番組「ちい散歩」で所沢を散歩した地井武男さんは、この蔵をスケッチしていた。

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ここでファルマン通り交差点に戻る。秋田家という古民家があり、国登録有形文化財に指定されている。所沢には新興住宅地のイメージがあるかもしれないが、実際は中世からの宿場町。古い建物は多い。この通りも、かつては川越のように蔵が連なっていたという。

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 (秋田家を路地側から撮影。波打つ塀が面白い)

 

その景観は、ほんの数十年前までは残っていた。スタジオジブリの宮崎駿監督は市内在住だが、彼が引っ越してきた1960年代には、まるで時代劇のような街並みが残っていたと述べている。川越よりも面白いと感じたそうだ。

宮崎駿監督インタビュー「半径300メートルへの所懐」

(※インターネットアーカイブ)

 

この通りは「銀座通り」という。かつては街の中心、今はタワーマンションが何棟も並んでいる。古い街を壊して建てたため批判も多いが、おかげで広い歩道がつくられ、歩きやすくなったのも事実だ。

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所沢と川越はお互い接していて、人口も同程度ゆえに何かと比べられる。川越は今でこそ観光地として賑わっているが、1980年代までは景観を気にすることがなく、蔵造り通りも寂れていた。その状況からアーケードの撤去や電柱の地中化などを始め、今のような一大観光地として生まれ変わったのだ。そのあたりの経緯は下記のサイトに詳しく書かれている。

https://www.homes.co.jp/cont/press/buy/buy_00416/

 

それに対して所沢は、古い建物を壊してタワーマンションを建てていくばかり。否定的に語られることが多い。しかし正解はないと思う。住民の中には、観光客が多いことを「活気がある」と喜ぶ人もいれば、鬱陶しいと感じる人もいる。僕自身は、今の状態でもそう悪くはないと思っている。

 

元町交差点の手前に建つ中央公民館で休憩。この建物の前には整備された広い空間がある。元町コミュニティ広場という。公民館が新設される際にセットで設けられた。街の中心地に広場があるのは、とても良いことだと思う。様々なイベントがここで行われる。

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広場の東側の道を北へ進むと所澤神明社がある。町の総鎮守である。木々が鬱蒼と茂っており、僕の大好きな空間だ。

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この近くは寺社が点在していて、先述した薬王寺もすぐそば。その他、新光寺、実蔵院といった寺がある。

 

特に実蔵院が面白い。薬王寺と同様に、本堂の裏は上り坂で、墓地が広がっている。一番高いところに立つと、眼下の道はだいぶ下にあるのに、その向こうの家は目よりも高い位置に建っている。この道は切り通しなのだ。そしてこれが鎌倉街道である。

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(実蔵院墓地より撮影。眼下の道が鎌倉街道)

 

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 (鎌倉街道を別角度で撮影。左が実蔵院墓地。撮影時期が違うため、右の土地が更地になっている)

 

元町交差点に戻る。ここから金山町交差点にかけては、古い建物が多く残る。少し手を加えれば、レトロな通りとして売り出せそうな気もする。所沢に歴史がないと感じる人は金山町商店街へ。

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商店街を抜けると金山町交差点だ。500メートル先に西所沢駅がある。西武狭山線に乗って西武球場前駅まで2駅。西武ドーム、狭山湖、トトロの森、西武園ゆうえんちなど、狭山丘陵で市内観光の続きをしてもいい。丘陵は、所沢にあって川越にはないものだ。


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