30代で実家ぐらし、働かず家にいる男の日々

1985年生まれの37歳。働かず、友達付き合いもなし。外へ出るのは散歩か病院の時だけ。一人で読んだり書いたりして過ごしている。noteで日記を公開している→https://goo.gl/Jrkznz

暗黒の人生にはなり得ない


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今の自分の心身が正常だとは思えない。

 

いつも頭がボンヤリしていて、物事を深く考えられない。考えようとしても頭が動かなくてもどかしい。そのもどかしい状態を続けると、不安症状が現れる。

 

だから私はしょっちゅう歩いている。歩いてさえいれば気が紛れるから。こんな風になってから数ヶ月経つ。いつ治るのだろう。

 

一生治らないということはなさそうだ。若いのに十分な思考ができないという悩みなのだから、若くなくなれば解決する。

 

この心身の不調は、単に今の社会と自分が合わないだけという気もする。もしそうなら、ただ待てばいいということになる。社会も自分も、放っておいても勝手に変わるからだ。退屈しない程度に適当に工夫してやり過ごそう。

 

ただ寝ていても社会は変わる。自分も変わる。それなら今は潜伏の時と捉えればいい。嵐の時は戸外に出ず、天候の回復を待つ。

 

一生何も成し得なかったとしても、悪くはない。体は常に動き続けている。ニートを「排泄物だけを製造している存在」と揶揄する人がいるようだが、排泄物をつくり、排泄できるというのは素晴らしいことだ。消化器や泌尿器を患った人なら必ずわかる。そんな経験がなくても、出ないこと、出せないことを想像すればわかるはずだ。私は排便後に便器に向かって合掌する。無事に排泄できたことがありがたいからだ。

 

目を外界に向ける。自然は常に変化している。それを鑑賞するだけでも楽しいものだ。春になれば木の枝からは瑞々しい青葉が芽生え、夏には鬱蒼と茂り、秋には紅葉し、冬に散る。

 

季節によって風の音も変化する。春の葉は柔らかいから、葉ずれの音はサワサワと軽い。夏は葉が厚くなるのでザワザワと重い。秋は葉の水分がなくなるのでカサカサ。そして冬は風だけがビュービューと枝と枝の間を通り過ぎてゆく。

 

毎日お日様に当たれるだけでも幸福感を味わえる。人生がただ生きながらえるのみで終わったとしても、内なる自然と外なる自然、森羅万象に対する感受性さえ失わなければ、暗黒の人生にはなり得ない。


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