人と会おうとすると体調が悪くなってしまう
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先日、ブログを読んだ方と会う約束をした。
ツイキャスも聴いてくださっており、ツイッターを見ても、僕と同じように社会に適応できないタイプ。話が合いそうだった。会うのが楽しみだった。
でも約束当日、起きたら異常にだるくて行けなくなってしまった。
だるいというのは「面倒くさい」ということではなく、頭がボーッとして、めまいもあって、起きていられないのだ。
こういうことは初めてではない。人と約束をすると、当日に体調が悪くなる。数ヶ月前、別の人と約束した時は、出かける前の食事でひどい胃もたれに襲われた。
無理して出発したが、どうしても気分が悪いのでベンチに座って回復を待った。いくらかよくなったので待ち合わせ場所に向かったが、結局ずっと吐き気があってつらかった。こんなことなら断ればよかったと思った。
今回の約束も、無理をすれば行けるレベルではあった。でも、上記のつらかった経験を思い出して断ったのだった。
「ドタキャン」というのは大いに嫌われる。ググってみたら「体調管理がなってないからだ。一週間前から体調に気をつければそうはならないはずだ」といった書き込みもあった。
でも僕の体調不良は、めまいや吐き気だ。前日までのおこないが原因ではない。毎日同じように過ごしていて、それまで何ともなかったのに、約束の日に症状が出てしまう。
当日のめまいは、空腹時のめまいと区別が難しいので、食事をとった上で判断する。それでも良くならなかった時「申し訳ないけど行けない」と連絡する。待ち合わせ時間の2~3時間前になってしまう。本当に申し訳ないと思う。
でもネットで調べると「体調不良なんて便利な言葉だね」「構ってちゃんだ」等々、信じないで貶す人も多い。悔しい。でも相手は自分との約束のために時間をあけているのだ。だからドタキャンは重罪なのだ。嫌味や皮肉ぐらいは甘受せねばならないと思う。
先に挙げた例のほかにも、体調不良を押して約束を果たしたことは何度もある。でも、それはそれでやはり迷惑をかけていると思う。口数が少なかったり、何度もトイレに行ったりして、心配をかけてしまうからだ。
そうすると、僕みたいなタイプは約束をしない方がいいのか。基本的にはそうだと思う。何しろ、体調不良というのは体の拒否反応なのだ。人に会うのがイヤだから、その症状は起きるのだ。
でも人に会うことを避けることで失うものは多い。
僕にも親しい人はいる。学校で人間関係を築くことができなかったので、みんなネットを通じて知り合った人だ。この人たちとも、初めは無理して会った。大いに緊張しながら、食事をしたり、出かけたりして関係を深めていった。
人と会うのは緊張する。何度も会って、親しくなっても緊張する。親兄弟の間柄でも緊張するくらいだ。初対面の緊張を乗り越えるのは難しい。会いたい人との約束でも具合が悪くなってしまうのは、緊張が自分の限界を超えてしまったということだと思う。
でも根性で何とかなる問題ではない。実際に体調が悪くなっているのだから。めまいも吐き気も気合いでは消えない。でもその壁を乗り越えることで、付き合いが始まり、人間関係が広がる。
人間関係など、なくても狭くても生きていける。でも、僕にとってそれは良くないと感じる。
僕は対人恐怖症だからだ。人間不信が底にある。これを乗り越えるには、たくさんの人の優しさに触れることが大切なのだ。人に会えば会うほど傷つくことも増える。でも同時に自分を肯定してくれる人も増える。対人恐怖は、人に会わないでいてはよくならない。だから、人に会わずに閉じこもるのはよくない。
体は人と会うことを拒否する。でも会わないと対人恐怖は治らない。どうすればいいのか。
あきらめて、一人で楽しむことなのかなと思う。人と約束して会うことはできないが、一人で楽しんでいれば、自然に人と会うチャンスが広がる気がする。
たとえば、いつも一人で何かのイベントに行っていれば、いつかは同好の士と「ちょっと食事でも」という機会は訪れるだろう。それは約束ではないので、事前の緊張もなく、スッと入っていけるのではないか。
そんな形で仲良くなった人は今のところいない。でも僕はもう、体調不良を押してまで人と会うことに疲れた。だから、これからはこの形で行きたいと思っている。
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【この記事を書く際に参考にした本】
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