女になりたい時がある
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女性に憧れ、女性のようになりたいと思う。
思春期の頃から、女性への憧れが募り、自分が女の子になる物語を書いてはドキドキした。平安時代に書かれた『とりかへばや物語』や、山中恒『おれがあいつであいつがおれで』といった男女入れ替わりの話を読むのが好きだった。
『アンネの日記』を読んで真似をした。自分の日記帳に名前をつけて親友とし、その子に語りかけるように書いた。僕は少女として書き、親友である日記帳も少女として扱った。
『若草物語』『赤毛のアン』『小公女』といった少女小説を愛読したが、男性として恋をするのではなく、少女や女性になったつもりで浸っていた。
- 作者: L・M・オルコット,朝倉めぐみ,吉田勝江
- 出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング
- 発売日: 2008/11/22
- メディア: 文庫
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この気分のピークは高校時代で、大学入学あたりから薄れ出し、卒業の頃にはほとんど消えた。
ただ女性への変身願望はなくなっていない。昨年公開されてヒットした映画『君の名は。』を観て、三葉になれる瀧がうらやましいと思った。
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でも心から女性になりたいわけではない。しばしば願望が起きるが、ある程度自分で満たしてやると収まる。すると単なる嗜好に過ぎないのだろうか。なお、僕は異性愛者である。
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女子トイレをうらやましく思うことがある。
僕は男子トイレに並ぶ小便器で用を足すことができない。横一列に並んで用を足す男たちを見るたびに、よくあんな無防備な姿を晒せるものだと不思議に思う。後ろからは排泄したものが丸見えで、音まで丸聞こえだ。その様子にいつも不快感を覚えながら、個室に向かう。
鍵をしめて洋式便座に腰を掛け、ようやく用を足すことができる。少し前までは、耳栓をしないとできなかった。人の気配や物音だけで緊張してしまって出なくなる。最近になっておおよそ克服できたが、精神状態や環境によっては未だにダメ。ポケットにはいつも耳栓をしのばせている。自宅でも同じ有様なので、家族がいる時は苦労している。
こんなだから、立ち小便をしながら横の人とおしゃべりするなんて信じられない。中学までは僕もできたのだが、高校でできなくなった。思えば、不登校になった時期と重なる。
一方、女子トイレはすべて個室だ。更に排泄の音さえ隠そうとする。小便器であけっぴろげに用を足す男たちとは雲泥の差だ。僕のトイレに対する感覚は、女性のものに近い気がする。僕が女だったら、男子トイレで感じている複雑な気持ちは解消される。
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ファッション面での憧れもある。
女性はスカートが穿けていいなと思う。僕は自室でよくスカートを穿く。中学生の頃から、隠れて穿くようになった。穿くと女性のように優しくなれた感じがして心が浮き立つ。
スカートだけではない。薄いピンクやかわいい花柄などがあしらわれた、いかにも女性らしい柄の服を身につけると、女性が持つ穏やかさを内面に取り込めたような気持ちになって、夢を見ているような心地よさに浸れる。
でも、バッチリ女装して街を歩きたいという欲求はない。人に女性として見られたいわけではないからだ。自分自身と遊ぶのが楽しいだけなのだ。鏡に映る女装の自分を見ているうちに、女性と2人でいるような気持ちになってきて、ドキドキする。これが快感でやめられない。
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女装のことはさておき。
男の下半身の服はズボン限定だが、女はズボンかスカートか選べる。男には最初から選択肢がないのだ。いつも残念で悔しい。
スカートは買いやすくていいなと思う。ズボンは必ず丈を詰める必要があるので、再び来店しないといけない。ところがスカートは好みの丈のものを選ぶだけだ。その場で穿いて帰ることだってできる。
どちらも穿き心地を確かめることは必須だが、肌への密着度は断然ズボンの方が上だ。伸縮性や動きやすさなど、確かめなければいけないポイントはズボンの方が多い。
あと、女性といえば化粧だ。手間はかかるものの、別人に変身できるのがうらやましい。男でも化粧する人はいるが、奇異の目で見られることは避けられない。
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このように、女性になりたいとまでは思わないが、どこかうらやましく思って生きている。
スタンダードな男性の異性愛者は、女性を他者として求め、得ようとする。ところが僕の場合は、女性を自分の中に取り込むことで満たそうとするところがある。自分が女性になってしまえば、女性が欲しいという欲求が満たされると考えるのだ。
こんな風だから、異性と付き合うことと無縁なのだろうか。
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