バイトを1日で辞めた
スポンサードリンク
バイトを1日で辞めた。今からその顛末を書いていく。
11月13日
アルバイトの求人に応募した。働きたくなかったが、親にお金を借りることがしんどくなってきたのだ。ポスティングを辞めたのが4月15日だから、無職期間は7ヶ月に及んでいた。
選んだのは運送会社の仕分けの仕事。大学生の頃に経験があったので「まあいいだろう」と思って応募した。年末までの短期だ。
短期のいいところは、ゴールが見えるところだ。そこまで我慢すれば辞められると思うと力が湧く。期限のない契約だと、無期懲役のように感じられて無気力になってしまう。
11月15日
面接を受けた。会社に到着すると、アジア系外国人があっちこっちにいる。耳馴染みのない言語が飛び交っている。不安になった。
11月16日
会社から電話があった。採用とのことだった。
別に嬉しくはない。イヤイヤ応募したのだから。そもそも短期の大量募集は基本的に全員採用だ。こうなることはわかっていた。
僕はイヤなことをせずにお金を得る方法を知らない。お金を得るには必ず苦痛が伴う。悲しいことだ。この仕組みに抗えず流される時、生まれたくなかったなと思う。
コンビニで保険証や銀行通帳をコピーした。会社に提出するためだ。
11月17日
会社に手続きに行った。マンション内で挨拶事件があった日だ。
会社のテーブルには書類が何枚も置いてあった。一枚一枚、名前を書いては印鑑、名前を書いては印鑑、名前を書いては印鑑、印鑑印鑑印鑑印鑑……。ウンザリした。何とかならないものか。
トレーニングシート(?)とやらもあり、受講してもいない項目が何十個も並んでいる。これらにレ点を入れていけと言うのだ。なんて馬鹿らしい作業なんだと思った。形式主義ここに極まれり。
実際は先頭にレ点を入れて下に棒線を引っ張ればいいと言われたため、すべてにレ点を入れる苦行は免れた。しかしそれはそれで、より無意味さが増したように思えた。
11月21日
19時から20時頃まではオリエンテーション。20時から22時までは労働。
いわゆるラインでの仕分け。ローラー上流から流れてくる荷物をカゴに積んでいく。軽いものから重いものまで様々。単調な作業なので退屈で、なかなか時間が過ぎなかった。
途中で喉が渇いたが、水分補給していいのかわからなかったので、ひたすら耐えた。1時間30分してから、ようやくヒマができたので尋ねてみた。「自由に飲んでいい」とのことだった。
それは助かる。しかし嬉しくはない。この現場には「水を飲んでいいのですか」と聞かなければいけないような空気が漂っているということなのだ。
それに、水を飲んでいいことが判明するまでの1時間半、水分補給できなかった恨みは残る。だから労働はイヤなのだ。改めてそう思った。
22時に仕事を終え、タイムカードを通す。長蛇の列だった。安全靴を脱ぐ間もなく送迎バスに乗り込む。
22時10分、送迎バス発。仕事を終えて10分後にバスが出るというスケジュールはきつい。しかも満員で座ることができなかった。相変わらずアジア系外国人だらけだった。
スポンサードリンク
11月22日
バイトをやめることにした。怒鳴られたわけでも、作業がすごくつらかったわけでもないが、もうあそこには行きたくないという思いでいっぱいになってしまった。翌日もあそこに行くのかと思うと憂鬱でたまらない。
この日は起きてからずっと無気力で、何もできなかった。明日の出勤に対して頭と体が「NO」を突きつけているのだと思った。
イヤなことを続けても仕方がない。退職してまた別の仕事をやろう。トライ・アンド・エラーだ。1日働いたのだから意味はあった。
これからは単発派遣をやっていこうと思った。夜勤で8時間働けば、それだけで1万円ぐらいになる。月に2万ぐらいあればやっていけるので、月に2度だけ我慢すればいい。
本当は派遣で働くのもイヤだ。8時間も軽作業を続けるなんて苦行中の苦行だ。退屈という精神的苦痛に加えて肉体的苦痛も伴う。人間のやることじゃない。ロボットにやらせるべきだ。そんな風に思う。
しかし毎月親に借金する生活もイヤだ。イヤとイヤを天秤にかけて、少しでもイヤじゃない方を選ぶ。
11月23日
バイト先に電話して退職を申し出た。
辞めたいと思ったらすぐ辞めたほうがいい。在籍すればするほど辞めづらくなる。
僕はかつて軽作業バイトを2年間続けたことがあった。たしかにお金は貯まったが、あの頃にはもう戻りたくない。夕方3時間だけの仕事だったが、残りの時間も仕事のことが頭から離れず、暗い気持ちで過ごしていた。
経済的には安定していたが、振り返ると「失われた2年間」という感じがする。だから我慢してイヤな仕事を続けることが良いこととは思えない。僕はそんな日々を送りたくない。
11月26日
会社に行って貸与されていたヘルメットと安全靴を返却した。
「体力的にきつい」と言って退職を申し出たため、小物やら書類整理やらの仕事はどうだと提案された。でも僕はもう辞めることで気持ちが固まっていたので、それらも受け入れず「退職します」と答えた。
駅までの送迎バスの発車は1時間後。会社で待っているのは苦痛なので、徒歩10分のところにあるバス停まで歩いて、そこから路線バスで帰った。
寂しい解放感があった。
スポンサードリンク