人の目を見て話せなくてもいいと思う
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私は挨拶が苦手です。マンションに住んでいるのですが、住人とすれ違うと挨拶しなければいけません。つらいです。
でも近頃では挨拶しない人が増え、ひどい場合には、こちらが挨拶しても素通りされます。挨拶嫌いが苦しみに耐えて挨拶したのにスルーされる。堪えます。
さて、あなたも私のように挨拶嫌いだとしたら、どうしたらいいのか。悩んだ末、以下の対処法で乗り切っています。
挨拶は目を合わせず、声だけで済ませる。心もなるべく込めない。これだけで心理的負担がだいぶ減ります。私などは顔を進行方向に向けたままです。相手の方など見ない。
挨拶というものはしておきさえすれば、何も言われません。挨拶嫌いは人と関わりたくないものですが、だからこそした方がいいのです。無視はいけません。挨拶しないと呼び止められて注意される可能性があります。恐れていた人との関わりが発生するわけです。挨拶は人との関わりを最小限にするための策と言えます。
人によっては「目を見て挨拶しろ」と言ってくるかもしれません。でもそんな人はめったにいません。もしいたら、その人にだけそうすれば結構です。仕事上、接客なり営業なりで、目を見なければいけない場合も、その時だけそうすればいいはずです。
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「目を見て話せ」と言う人が結構いるようです。本やネットで目にしますが、面と向かって言われたことはあるでしょうか。私はありません。
「目を見て話さない人は信用できない」と言う人がいますが、できないのだから仕方がありません。「目を見て話せない人は自信がない」という指摘も同じです。そう言われてもこちらには何もできません。
私は人と話す時、めったに相手の目など見ませんが、注意されたことはありません。コンビニで店員をしていたこともありますが、勤まりました。本やネットで苦言を目にすると思いますが、気に病むことはありません。
大学生の頃、先輩に「人の目を見て話せない」と相談したことがあるのですが「大丈夫だよ。ちゃんと見られてる。気になったことはない」と返されました。そういえば、一切見ていないわけではありません。会ったことのある人の顔は覚えていますから、無意識にチラチラ見ているものなのかもしれません。
そもそも、人の目を見ていたら話に集中できません。肯定なり否定なり、快なり不快なり、目は口ほどに物を言う。こんなものを見ていたら、その情報にいちいち振り回されてしまいます。
したがって、目を見られる人はそうすれば結構ですが、見られないのであれば無理することはないと思うのです。
また、相手の目が見られないのは感受性が鋭いためという説もあります。目から人の心の動きを感受しすぎてしまうために、無意識にそれを遮断しているのです。もしそうなら、これは美点ですので、尚更矯正する必要はなくなります。
西洋では目を見て話すことが必須だそうですが、日本ではそこまで言われません。よって西洋に住むのでない限り、それほど気にしなくてもいいのではないかと思います。土地の文化との相談ですね。
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